これはハウツウ本とも人生論とも言える

  • 2014.10.05 Sunday
  • 16:07
東京大学にも、こんな異色の教授がいるのかと感心した。新聞の広告欄でこの本のタイトルが目に留まった。時々寄る近隣のショッピングモールにある書店を回ってみたが、このタイトルの本は見つからなかった。 ???。そして、十日ほど前、車検の待ち時間を利用して町の小さな書店を覗いてみたら二冊発見、一冊買い求めた。新聞広告に載りながら店頭で見つからない本もあるのだな、と改めて思った。

独学勉強法東大教授が教える独学勉強法
草思社 発行 (amazon
2014年7月 第一刷
     9月 第二刷

著者 柳川範之
1963年生まれ。東京大学経済学部教授。中学卒業後、父親の海外勤務にともないブラジルへ。ブラジルでは高校に行かず独学生活を送る。大検を受け慶應義塾大学経済学部通信虚行く過程へ入学。大学時代はシンガポールで通信教育を受けながら独学生活を続ける。大学を卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士(東京大学)。現在は契約理論や金融関連の研究を行うかたわら、自身の体験をもとに、おもに若い人たちに向けて学問の面白さを伝えている。


著者の経歴が面白い。所謂、コースに乗って東大教授になったわけではない。東大も、最近の大学世界ランキングを見てみれば、呑気に構えている余裕はないはずで、多少異色の教授が登用されるぐらいでなければ立ち行かないだろう。

それにしても、著者は現在51歳、じぶんも、せめてこの歳に本書にあるような心境・考え方にあったならばと悔やまれる。もっとも、著者は、青年の頃から家庭の事情により独学の道を探らざるを得なかったという環境にあったわけで、にわか仕立ての勉強法ではない。それなりの修行(?)の時期があったわけである。

いきなり勉強してはいけない。まず、正しい「学び方」を身につけよう。

この歳になって、この意味が分かるようになった。学校、特に高校以降では知識よりも「学び方」を教えるべきだというのが持論だが、残念ながら現実はそうではない。本書を高校の教科書にすればいいとさえ思う。「学び」は「生きる」に通じる。決して進学と資格取得のためにだけ「学び」があるわけではない。「学び」が薄ぺっらになってしまった。もっと大事な目的がある。早い時期に、そのことを若者たちに伝えるべきだ。

本書には著者の想い(ノウハウ?)が詰まっている。特に若者に読んでもらいたいと思うが、シニア世代にとってもまだ間に合う。

 情報を選ぶには、そのための基準が必要です。その基準を与えてくれるのが学問です。ほとんどの学問は実はそのためにあるんだと思います。情報をうまく選ぶための基準を与えてくれるのが学問であり、ここに学問を学ぶ基本的な理由があるのです。

さらに、著者は語る。

 学問に限らず、世の中のほとんどのことについて、何が正解なのかよくわかっていないのです。だから、仕事においても、生活においても、本当に重要なのは、正解のない問題にぶつかったとき、自分なりに答えを出そうとして考えていくことだと思うのです

人生は死ぬまで続く。情報に溢れた社会を生きて行かなけれればならないのはヤングもシニアも同じだ。ところで、著者は「勉強のコツ」と「作業のコツ」の違いを指摘する。今、学校で散々させられるのは受験テクニックという「作業のコツ」を研くこと。著者は、それに対し、「勉強のコツ」とは頭の使い方を工夫すること、人によって異なる理解のパターンやクセを自分自身で把握して、自分の頭に入りやすい勉強の仕方を工夫することだと語る。

教科書が絶対の学校では、教師がこんなことを教えてくれることはない。著者は、勉強や学びのプロセスとはいったん押し返してみること、何でも疑ってみること、本の書き手である偉い先生と違う理屈を語れるようにしてみること、これが大事な学びの過程なのだと説く。

じぶんが本当に腑に落ちるメッセージがあった。それは「要点はまとめない、要約もしない」というものだ。これは世間一般の考えに反する。我々は、逆に「要点をまとめること、要約する力を養うことが大切」と教わってきた。しかし、著者のこのメッセージは、この歳になって府に落ちる。社会の中では要求される能力だが、しかし、深く考えるための勉強という視点では、「下手(安易)に要約しようとするのはマイナスだ」という著者の言葉に共感する。

このことは、著者の「勉強は加工業、自分の中での ” 熟成 ” が大事」というメッセージとも関連する。即席生産、促成栽培に偏重した社会への批判ともなっている。じぶんは「学び」を第二の人生の中心に据えてみようと考えた。しかし、これはアカデミックなこととは無関係で、じぶんの好奇心と、じぶんの人生の総括という意味合いが強かった。しかし、今回この本を読んで、「学び」には、好むと好まざるとに関わらず情報化社会の中で生きざるを得ない自分たちにとって、我が身を護るプロテクターとなり得るのかもしれない、という思いを新たにした。

 私の中では、著者の言っていることが本当かという疑いと、自分が本当にわかっているのかという疑いとは、ほとんど区別がありません。結局のところ、その両者は同じことだと思うのです。自分の側に疑いの比重が置かれれば「じぶんが分かっていない」と思い、著者の側に比重が置かれれば「著者の言っていることはおかしい」と思うわけです。

すべて、環境は書物のようなものだ。上記メッセージを頭の隅に、余生を生きることが出来たなら、これに超したことはない。今、そんな想いである。

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